
僕の神山移住ヒストリー〜神先岳史さんインタビュー前編〜
みなさん、こんにちは。ローカル旅大好き、そこに住む人たちと喋るの大好き、おがさひろこです!私の地元・徳島は、県外からの移住促進に力を入れているところなんです。徳島の中でも移住者が多いと言われる神山(かみやま)。ここにある、宿泊施設のWEEK神山を経営されている神先岳史(かんざきたけし)さんは、6年前に京都から徳島へ移住されました。

しかし、京都から神山へ「宿をやりたい!」といきなり移住を決意したわけではありませんでした。「すべてタイミングですね」と語る神先さん。お話を伺うと、移住までの面白いヒストリーを見ることができました。
なぜ神山に移住したのか。どういうステップで移住をしたのか。今回は神先さんの神山移住エピソードを伺いました!
前回の記事はこちら↓

ほっと一息つける場所でありたい。築70年の古民家を改装した神山の宿泊施設WEEK神山とは? 〜神山インタビュー記事(WEEK神山編)〜
-:筆者、(神):神先岳史さん(以後、敬称略)
きっかけは「神山塾」だった

- では、これから神先さんの移住に関するエピソードをお伺いします。神山について知ったきっかけはなんだったんでしょうか?
(神)日本仕事百貨というサイトで「神山塾(かみやまじゅく)」というのを見つけました。そこに書かれていたことが当時の僕の心に刺さりましたね。
- 神山塾とは?
(神)職業訓練という制度を使って、神山という環境の中で自分自身の「やりたいこと」を半年間かけて見つけていくものです。やり方を学びつつ、自分という「在り方」も見つめます。
座学もありますし、実際に自分たちで、ゼロから小さなプロジェクトを起こしたりもします。僕は神山塾の3期生でした。
- ただスキルを学ぶだけではないのですね。
(神)そうですね。スキルを学びつつも、神山で開催されるお祭りのお手伝いをしたり、農作業をやってみたりして地域のコミュニティに参加もします。
自分を応援してくれる環境が神山にはあると感じた

- なるほど。神山塾のことを紹介していた記事の中で印象的な言葉とかありましたか?この一文が神山へ駆り立てた!みたいな。
(神)そうですね。その記事には
「今の若い人たちは大きなことにチャレンジして頑張るけど、その挑戦が大きすぎるからなかなかうまくいかずに挫折してしまって、社会に埋没してしまう。
本当に大切なことは目の前にある小さなことを1つ1つクリアしていくことで、それが大きくなって社会に影響を与えていくんだ」
ということが書かれていて。本当にそうだなぁと思いました。まず出来ることからやろう!と。
- それでも未知の土地である神山に来るのはハードルが高いように思いますが。神山に行こう!と決断できた背景はありますか?
(神)記事を読んで、神山には応援してくれる環境や人、雰囲気があるのかなぁと思えたからですね。
半年間の神山生活で見つける「自分のやりたいこと」

- 神山という地域には受け入れてくれる体制が整っているということが、記事を読んで感じられたんですね。実際、神先さんが神山塾でされていたことは?
(神)職業訓練の場なので自己開示や他己紹介などの座学や、茶摘みなどの地域のお手伝いもやりました。9時から16時まで塾で、その後の時間はそれぞれで好きなことをしていました。
それぞれが、自分のやりたいことをやってみるといったスモールプロジェクトを進めていましたよ。これは強制ではないので、やりたい人がやるといった感じです。
- すでに神山でやりたいことが見つかっている状態で、塾に参加されていたのですか?
(神)神山で生活していくうちに見つかっていくみたいな感じですかね。みんな一度社会を経験してから神山塾に参加していたので、スキルとか経験はあって。それをベースに、徐々にやってみたいことに挑戦していました。
- 神先さんは何かスモールプロジェクトをされていましたか?
(神)僕は屋台をやっていました。これまでアルバイトや社員としてずっと飲食に携わっていたので、食に関することをしたかったんです。神山のお祭りの時や、神山であるマルシェに屋台を出店しました。
最初は食べ物だけを提供していましかが、神山で作られたお土産やちょっとしたものなんかも屋台と一緒に販売するようになって。神山塾を卒塾してからも屋台は続けていましたね。
- 神山塾で学んだこと、ご自身のスモールプロジェクトである「屋台」が卒塾後も繋がっていったんですね。それではこれから、神山塾を卒業してから神山に本格的に移住する時までのお話を聞かせてください!
僕の神山移住ヒストリー <神先岳史さんインタビュー後編>に続く